正しさと社会性
correct と collect という語はよく似ている。
「これくと」と日本語で書くとどちらも同じだけれど、英語としてはスペルも発音も異なるし、意味も違う。
語義から述べると、
collectとは、 co-「ともに」lect「集める」であり、 集め合わせる。という意味を持つ単語。
correctとは、 co-「強意」rect「まっすぐな」、 まっすぐであるような、あるいはまっすぐにする。「正しい/正確な、礼儀にかなった/適切な、~を訂正する/直す」などの意味を持つ単語。
coの意味がそもそも違うし、lectもrectも意味が異なる。そういうわけで特に言語的な意味合いでの重なり合いは私には示せない。
けれどあえて両者をつなげみたくなったので、「正しさ」についてジョークのようなレトリックのような表現で主張する文章を作成してみる。
集団的に受け入れられる性質が正しさである。The collectively accepted quality is correctness.
正しさとは集団的に受け入れられる性質である。Correctness is a collectively accepted quality.
「正しさ」についてはいろいろな定義や主張があるけれど、「正しさ」はあくまでも特定の社会における合意に基づいて規定されるものに過ぎない。と、いうのがジョン・ロックの社会契約説の大まかなところであるから、あながち間違いとはいえまい。少なくとも、私にはそのように見える。
「正しさ」を論じるにあたって、同じ価値観を持てるから、集まって社会Societyを構成できる。そういうことを何となく感じる。